皮革製品のお手入れを日々の生活に、気軽に取り入れてもらうための本連載。
第1回は、伴走者であるLIRAYの伊藤渉さんを紹介いたします。
伊藤さんは、皮革製品の色抜けや染みなどの補修作業を専門にされている職人です。
伊藤さんがこの世界に入ったきっかけや、革のカラー再生職人として独立するまでの道のりなど、色々とお話を伺いました。
靴の世界へ
寺田:伊藤さんが革靴に携わり始めたのは、いつ頃からだったのですか?
伊藤:19歳のとき、地元仙台の大学在学中に、バイト代を貯めて浅草の製靴学校のプライマリーコースに通い始めました。仙台から夜行バスで毎週日曜日に通っていて、合計で半年以上は通ったと思います。
疲れ過ぎていたからか、眠ると必ず金縛りにあっていました(笑)
寺田:それはスゴい気力と体力ですね。そこまで伊藤さんを惹きつけた革靴、靴作りの魅力とは何だったのでしょうか?
伊藤:高校生のある日、ふと実家の下駄箱の奥を覗き込んだことがあって。そこに、亡くなった祖父の靴磨き道具一式がしまってありました。
私が2歳頃に他界していて祖父との記憶はほとんどないのですが、祖父の服や靴は誂えたものが多く、身なりに気を配っていたそうです。
そんな祖父の靴磨き道具を試してみたくなり、カラカラに乾いた靴クリームで、いつも履いている自分の革靴を磨いてみたら、綺麗に光ったんですよね。それが今に通じる原体験です。
それから次第に靴作りに興味を持ち始め、大学卒業後は山形県にある老舗紳士靴メーカーに就職しました。
革靴の魅力は、本当にたくさんありますが、私にとっては理屈ではなく単純に格好良いところでしょうか。感情が動くというか…それはデザインやフォルム、佇まいからそう感じるのかもしれません。革靴を好きになる入り口として、この動機に勝るものはないと思っています。
靴作りの魅力は、一つ挙げるとすれば細部を突き詰める事で素晴らしい履き心地となることでしょうか。
「靴作りは宮大工のよう。一棟建てる技術のようなものが凝縮されている」
ある靴職人の方の言葉で、とても深く本質をついていて、今でも鮮明に覚えています。
寺田:原体験が靴磨きだったというのは、今のお仕事とのつながりを感じますね。実は、僕も祖父に教えてもらった靴磨きが原点だったので、ちょっと驚きました。
靴メーカーに就職された先には、何か目標やプランがありましたか?たとえば靴職人になるとか、ご自身のブランドを立ち上げるとか?
伊藤:将来は手製靴職人になろうと思っていました。
就職したメーカーでは、当時、終業後に工場内の設備を自由に使って靴作りができる環境でした。靴作りの仕事をしながら靴作りを学ぶこともできる、理想的な環境だったと思います。毎日夜遅くまでハンドソーンを極めようとする人、木型を極めようとする人。工場内設備を利用してオリジナルブランドを立ち上げ、量産前提に靴作りを学んでいる人もいて、刺激をもらいました。
しかし、いざ靴作りを勉強するや否や、まもなく壁にぶち当たって。
寺田:それはどんな壁だったのですか?
伊藤:各ラインにいるベテラン社員達の仕事が本当にすごかったんです。素早い手捌きで勘どころを抑えた作業…その姿を目の当たりにして、この道ウン十年の方に追いつくには果たして自分は何年かかるのだろうか…それも靴作りにおける全工程で…
もし運良く独立できたとして、中途半端な自分より靴作りが上手い職人がゴマンといるはず…そう思うようになり、当時は途方に暮れました。
革のカラー再生という仕事
カラーリングに使う皮革用塗料
寺田:そうだったのですね。その経験から、伊藤さんはその先、自分の進む道をどのように考えられたのですか?
靴から離れる…という選択はせず、靴との違った関わり方を模索されたのだと思いますが。
伊藤:靴から離れる、というのはあまり考えなかったですね。
むしろ靴を知っているからこそ、何かこれを活かす仕事をしたいと思うようなりました。
少し話が戻りますが、大学生の頃、週一で製靴学校に通っただけで靴作りがしっかりできる筈もなくて。それでも何か習得しようと、先生に靴磨きの方法を指南していただいていたんです。その先生が磨いた靴の輝きが、それはもう綺麗で。靴の美しさを際立たせる磨きに感動したのは、後にも先にもそのときだけでした。
そんな経験があって、靴磨きが得意になっていました。
勤めていたメーカーでは靴の色やキズを補修する部門もありました。靴磨きの技術だけでは到底太刀打ちできない領域があることを知り、この分野だったら自分も頑張ればできるかもしれない、と勉強や実験を繰り返し、靴作りよりもこちらに傾倒するようになりました。
そして次なる道として、革製品の色やキズ補修ができるような会社がないか探すようになります。
寺田:製靴学校に通われていた時代から、靴磨きには熱心に取り組まれていたんですね。今の伊藤さんの活動への道が、だんだん見えてきました。
その後、就職されたのが全国展開する靴修理業者さんだったのですか?
伊藤:そうですね。希望が叶って、全国にある店舗から対応が難しい修理品が届く、自社工場に配属されました。
寺田:伊藤さんは店舗ではなく、工場に勤務されていたのですね。そこでのお仕事はクリーニングやカラーリングが中心だったのですか?
伊藤:靴や鞄など、革製品のクリーニングやカラーリング(色・キズ補修)の部門に所属していました。退職するまでの5年間、その部署でたくさんの革製品を作業しました。
寺田:相当な数のクリーニング、カラーリングをされてきたと思いますが、このお仕事の面白さ、難しさはどういったところなのでしょうか?
伊藤:5年間でトータル数千点作業させていただきましたが、難しさはたくさんありますね…
たとえば、一点一点お品物の状態が異なること。当然といえば当然なのですが、似たようなお品物の作業でも、前回はこれで綺麗になったのに、今回はなかなか上手くいかないといったことはよくありました。こればかりは経験を積んでいく以外に道は無く、状態を見極める眼が養われました。
また工場なので、ご依頼されたお客様のお顔は見えないことも難しさの一つでした。
具体的にどこをどのように綺麗にされたいのか分からないこともあり、お顔の見えないもどかしさもありました。
大切なお品物ですので、作業スタッフはみな慎重になります。店舗間との意思疎通を図りながら作業を進めていくことも多かったですね。
面白いところは、やはり綺麗に仕上がったときでしょうか。予想よりも状態が改善されたときは嬉しいですね。
寺田:「お客様の顔が見えないもどかしさ」が難しさとして挙がったのは、伊藤さんならではだなと感じました。伊藤さんとやりとりしていると、お客様が何を望まれているかをすごく大切にして作業をされていることが伝わってきますので。
このもどかしさは「お客様と直接コミュニケーションを取っていきたい」といった気持ちにもつながりそうだと思うのですが、独立を選んだ理由にはそういったこともあったのでしょうか?
伊藤:そうですね、お客様とコミュニケーションを取りたいというのも独立の動機の一つでした。
その会社には様々なスキルやバックグラウンドを持っている方が多く、たくさんの学びがありました。企業活動で利益を得るだけでなく、どうすれば社会がもっとよくなるだろうというような大局的な視点を持っておられる方が多くて。
私は靴業界しか知らずに生きてきました。あっ、こんな考え方もあるんだ!と様々な視点、考え方に触れていくなかで、凝り固まった頭に雷が落ちたような場面が何度もありました。
壊れたものを直してまた使う。靴に限らず修理業はCE(サーキュラーエコノミー)の一端を担っています。
靴磨き1つとっても、お客様がご満足いただけてまた履けるようになる。単純に捉えがちですが立派なサステナブルな活動だと思っています。
そんな中で、自分が今できるのは技術を最大化し、お客様の困ったに全力でお応えすることであり、結果それがお客様の満足につながる、そう考えていました。まずはこの土台となる考え方をしっかり持った上で、独立に向け必要な知識や技術を身につけていきました。
職人として独り立ち
茶色から黒へカラーチェンジされた靴
寺田:伊藤さんにとっての会社は、技術はもちろん、靴と人と社会の関係を考え、学べる場でもあったのですね。
会社でのお仕事から独立にいたるまでは、どういった経緯だったのでしょうか?
伊藤:仰る通り、本当にそうでした。良い経験をさせていただきました。
独立に至るまでのきっかけとしては、振り返ってみると第1回、2回と靴磨き選手権大会の本戦出場を果たしたことでしょうか。靴磨き職人を目指していたわけではないのですが、靴磨きのレベルが世界トップの日本において、自分の磨きがある程度通用するという手ごたえを感じたことが大きかったです。
その後は、これだ!という塗料に出会えたことと、靴業界の方々との交流を通して徐々に独立したい気持ちが高まってきました。
そしていざ独立しようと決意したのですが、1つ壁が立ちはだかりまして。
寺田:靴磨き選手権大会がきっかけだったのは、ちょっと意外でした。伊藤さんの技術(顔料や仕上げ剤を使いこなす)は一般的な靴磨きとは違うもので、それだけで十分な強みがあると思っていたので。
伊藤:そう言われてみると意外かもしれませんね。
色補修をする際には素材の風合いを再現するのですが、如何に立体的で格好良く仕上げるかを目指していました。そのなかで、磨きは私の中でスパイスのような役割であり、革の質感や風合いが増す大切な工程でした。
そんなこともあって、靴磨き選手権大会は自分の中で大きな自信に繋がりましたね。そこから、磨きは良いとして、寺田さんが仰ったようなメインである染料・顔料や仕上げ剤をもっと知見を深めなければならないと考えていました。
色補修は奥が深いです。これだ!と思った塗料と出会ったり、靴業界の方々と交流するなかで知らなかったことも多く学んでいました。
壁というのは、設備やランニングコストでした。当初は靴の聖地である浅草で開業しようと思っていましたが、かなり高くなる試算で断念したのです。
コロナ禍も重なり、開業したとしても先行きが不透明であり、ましてや色補修やクリーニングというニッチな分野…独立するなら地方でやるしかない状況となりましたが、ある社長さんから「都内でも荷物のやり取りは送りだよ?技術があれば、場所はどこだって大丈夫だよ!」とアドバイスをいただきました。
その後、ご縁があり山梨の地で独立を果たすことが出来ました。
寺田:靴磨きは、伊藤さんにとって靴を仕上げるための大切な工程で、大きな役割を果たすものだったのですね。
壁はコストの面でしたか…確かに東京の23区内は家賃だけでも相当なものですからね。
伊藤:建屋の一角を使って良いとのお話をいただいて、本当に有り難かったです。
改装して、専用にオーダーした吹き付け塗装用の局所排気装置と、クリーニングに必要なシンクや業務用乾燥庫を導入しました。非常にミニマムなアトリエですが、その分効率よく作業が行えます。自然に囲まれているので、外に出るとすぐに美味しい空気が吸えます(笑)
寺田:そういったご縁があって、山梨で開業されたのですね。
作業には溶剤なども使われるでしょうし、すぐに外で新鮮な空気が吸えるのは重要なことです。
現在、洗浄やカラーリングなどの作業は全て伊藤さん一人で行われているのですか?
伊藤:そうですね、作業から発送まで責任をもって自分一人で行なっています。大変なところもありますが、自分が納得するまで突き詰める事ができ、やりがいがあります。この辺りは個人店の強みではないでしょうか。
寺田:発送までの全てを、ご自身の手で行われているのですね。納得するまでできる強みというのは、僕も一人で店舗を運営しているので良くわかります。
最後に、LIRAYでのお仕事を通じて、伊藤さんが伝えていきたいことをお教えいただけますか?
伊藤:革製品と聞くと基本的にデリケートで、汚れが付着したら落とせない、捨てるしかない、と考えてしまう方が多いように思います。けれど、革製品って日常的にちょっとお手入れするだけで綺麗になるし、長持ちするんです。事業を通じて、こういったことを広く知っていただけたらなと思っています。
とはいえ、状態によっては日常のお手入れではなかなか綺麗にならないこともあります。そういったときに有効な「洗う」「色直し」などで頼っていただければ嬉しいです。
理想を掲げるとあらゆる革製品に対応したいと考えていて、そのために常に知識・技術をアップデートしています。
伊藤さんの仕事は、革を再生させるような素晴らしい仕上がりです。
それは、知識と経験だけでなく、革靴への愛情や、携わる人たちへの配慮があってこそのものなのだなと、今回お話を伺って感じました。
次回からは具体的な革のお手入れ方法について、伊藤さんとお話をしていきます。
僕と伊藤さんのこれまでの経験や知見を、より良い形でみなさんにお伝えしていければと思います。